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【今日も一緒にプロレスを楽しみましょう!】アトランタでも金を逃した“柔道王”小川直也、プロレスに殴り込み (1/2ページ)

 「今度こそ」と臨んだ1996年アトランタ五輪でも、金メダルを逃した「柔道王」小川直也。「五輪のプレッシャー」にリベンジを果たせぬまま、次の夢に向かって気持ちを切り替えることになった。

 元々は92年バルセロナ五輪で優勝し、第二の格闘人生としてプロ格闘家に踏み出すプランがあった。明治大学柔道部の先輩、坂口征二氏が当時、新日本プロレスの社長に就任しており、柔道日本一からプロレスに転身した先輩と同じ道もその一つだった。

 ところが、4年の“猶予期間”によって、軌道修正が必要となった。97年2月に所属のJRAを退社し、フリー格闘家に転身表明した小川だが、この年K-1が3大ドームツアーを開催し、10月にはPRIDEが旗揚げ。高田延彦VSヒクソン・グレイシーが実現した。格闘技イベントが台頭し、立ち技のK-1、総合のPRIDEがプロレスをしのぐブームを巻き起こしていた。

 格闘ブームに一枚、噛んでいたのが新日本プロレスのオーナー・アントニオ猪木だった。もともと、自ら異種格闘技戦に臨むなど、プロレスと格闘技のボーダーレス化を進めていた。猪木は格闘イベントに対抗できる人気、実力を併せ持つスター選手の育成が不可欠と感じ取っていたはず。そこにプロ入りを模索する小川がいた。

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