記事詳細

【福島良一 メジャーの旅】女性選手も尊重の米野球 殿堂博物館に展示コーナー設置、歴史に残る女子選手の功績たたえる (1/2ページ)

 3月は女性史月間。日本では映画「野球少女」が全国公開。プロになる夢を諦めない天才少女の挑戦を描いた作品だ。思えば、米球界ではプロを目指す女子選手たちの100年以上にも及ぶ長い歴史がある。

 1900年代初頭、オハイオ州で医師の娘として生まれたアルタ・ワイスは14歳のときに少年チームの投手となり、17歳で地元のセミプロチームに入団。デビュー戦には1200人もの観客が詰め掛け、5回4安打1失点の好投を見せた。

 やがて、ワイスが登板する日には特別列車も出るほど多くのファンを動員。08年に彼女の父親は各地を巡業するセミプロチームを買い上げ、「ワイス・オールスターズ」と命名。その後、彼女は野球で稼いだ資金を学費に充て、医者となった。

 31年マイナーの球団に17歳のジャッキー・ミッチェル投手が入団。ヤンキースとのオープン戦で、あのベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグから連続三振を奪った。だが、コミッショナーが「プロは女性に激し過ぎる」と契約を無効にした。

 それでも、37年にプロ野球史上初の女子選手としてトニ・ストーンがデビュー。以来20年間に渡って活躍し、53年にニグロリーグ史上初の女子選手としてプレー。あの偉大なハンク・アーロンに代わる二塁手として打率・243を残した。

関連ニュース