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【あの名場面の裏側】G戦士編 中畑を救った“出世アーチ” スペアのコンタクトレンズがとらえたマリオ・ソトの速球 (2/3ページ)

 そんなときに日米野球のメンバーに抜擢(ばってき)されたのである。そのシーズン、巨人は優勝を逃していた。V9戦士たちの力が明らかに衰え、長嶋茂雄監督は世代交代以外、チーム再建の道はないと判断。この日米野球を若手登用の場とし、中畑はじめ松本匡史、篠塚和典(当時名、利夫)、平田薫らを一斉に引き上げた。

 「オレにとって最後のチャンスかもしれない」。そんな大事な試合前にコンタクトレンズを紛失-。

 「遅くなってすみません」。調布市仙川の自宅からタクシーをとばして仁美夫人が球場についたのは試合前のノックが始まる直前だった。

 そして試合は王、ジョージ・フォスター両主砲がホームランを打ち合って、8回裏までレッズが6-4でリード。ところが、この回、王、張本勲のバットが火を吹き1点差に迫まり1死でなお二塁に王がいる。同点のチャンスにスタンドは沸き立った。ここで8回表の守備から高田に代わって三塁に入っていた中畑に打順が回ってくる。

 「ようし。オレが外国人に強いこと知らないだろう」と勇んで打席に突進した。駒大時代、全日本大学選抜の一員として日米大学野球で活躍したことで「外国人に強い」と単純に思い込んでいた。

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