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ブルーインパルス誕生、続発する殉職者で意気消沈する隊員の士気回復と「見せる」ことによる抑止 (1/2ページ)

 【東京五輪と自衛隊】

 「今回は五輪マークが、カラーで描かれるらしい!」

 東京五輪開催に「賛成か、反対か」と世論が分かれる中でも、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」が飛ぶとなると胸躍らせる人も多い。

 前回の東京開催から57年、今回も開会式当日、ブルーが登場することになった。よく、「1964年の時の五輪マークは色がなかった」と言われるが、実は当時も5色の着色煙が空を彩っていたのだ。まだ、白黒テレビが主流だったために、ほとんどの人の記憶がモノクロとなっている。着色煙も日本独自で開発したものだった。

 もう一つ、驚く裏話がある。

 ブルーは当時、開会式に向けて1年半かけて計約189時間に及ぶ訓練を行ったが、一度たりとも成功したことがなかったのだという。そもそも、宙返り飛行をして大きな円を描くなど「人間業ではない」と言われていたオーダーだった。

 すべての機体が完璧な円を描いたのは、本番の日だけだったのだという。ひのき舞台での一発勝負で大成功したブルーインパルスは、以降、押しも押されもせぬイベントの花形になった。

 一方で、その歴史をひも解くと、言い尽くせないほどの苦難の道のりをたどってきた。

 前回の五輪開催は、わが国が敗戦から立ち上がり、高度経済成長に入ったただ中だった。自衛隊の歴史はまだ10年そこそこ。ブルーインパルスが「戦技研究班」として発足したのは60年である。つまり、あの五輪マーク飛行は、ブルーが誕生してわずか4年後のことだったのだ。

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