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【東京五輪と角栄の時代】蔵相就任後は“開放経済体制”入りに全力投球 田中角栄氏、IMF総会の打ち上げで「王将」披露 (1/2ページ)

 57年前、「アジアで初の五輪」となった東京五輪が開催された1964年という年は、田中角栄にとっても“特別な年”であった。62年7月の第2次池田勇人改造内閣で蔵相に初就任した田中は当時、わが国の戦後経済体制から、世界の開放経済体制入りに全責任を負っていたからだ。

 田中は蔵相就任からわずか2カ月後、時の国際情勢を背に、池田首相の意向を受けて開放経済移行を決断、日本政府代表として米ワシントンでのIMF(国際通貨基金)第17回年次総会に出席した。

 何事にも負けず嫌い、全力投球で鳴る田中はやる気十分、大蔵省幹部の「演説は日本語でよろしいのでは」という提案を前に、「いや英語だッ」と“宣言”した。つくってもらった英訳の演説全文テープを懸命に暗唱した。「暗記が一番」は、田中の子供の頃からの勉強法だった。

 随行の大蔵省幹部が田中の演説原稿をのぞくと、英語のスペルの下にカナがふってあり、長い文章は真ん中あたりで発言を2つに分けてあった。“苦戦”の跡がアリアリだったそうである。

 「日本はこれまで国際化への努力を怠ってきたわけではない。国際収支上の困難も経験している。今後なお、輸入自由化に努力するも、世界各国も日本の輸出に対する差別的輸入制限の速やかな撤廃を願いたい」

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