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【東京五輪と角栄の時代】NHKが横やりも「選手村問題」一件落着 田中角栄氏、川島幹事長とのタッグで難題を次々と突破 (2/2ページ)

 川島と田中は、どう動いたのか。

 当時の都知事、東龍太郎は国際通ながら行政経験が乏しかった。川島と田中は、都の方は自治庁事務次官から内閣官房副長官を経て、五輪開催決定直後に副知事に就任した鈴木俊一(のちの都知事)を、国では大蔵省主計局長だった石野信一(のちの事務次官、太陽神戸銀行会長)を主たるターゲットとして各省庁に根回し、落ち着き先の見えなかった選手村問題も、「ハイツ」案での一件落着に持っていったのである。

 池田首相は当初、東大法卒などの学歴なしの田中の蔵相就任を懸念し、内閣改造時の更迭も視野に入れていたが、川島が持ち前の“江戸弁”で、池田の前でこう言ったものだった。

 「池田しゃん(=さん)。アンタ、田中の能力が分からんなら、ワタシも(幹事長を)止めさせてもらいますわ」

 かくて、川島と田中のタッグが次々と難題突破、五輪開催へ道筋を付けていったと言ってよかったのだった。 (敬称略)

 ■小林吉弥(こばやし・きちや) 1941年、東京都生まれ。早稲田大学卒業。永田町取材50年余のベテラン政治評論家。政局分析や選挙分析、田中角栄研究で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『新 田中角栄名語録』(プレジデント社)、『田中角栄 上司の心得』(幻冬舎)など多数。

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