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【東京五輪と角栄の時代】NHKが横やりも「選手村問題」一件落着 田中角栄氏、川島幹事長とのタッグで難題を次々と突破 (1/2ページ)

 田中角栄には、ポストに就くと、必ず難題が待ち受けているといった、ジンクスめいたことが多々あった。

 郵政相時は、テレビ時代突入に向けての大量免許交付問題、政調会長時代は日本医師会とのこじれ切った保険医総辞退問題、蔵相時の山一証券倒産回避への日銀法25条発動、幹事長時の大学紛争収拾のための大学立法、通産相時の日米関係泥沼化を救った日米繊維交渉の解決といった具合だ。いずれも、内政・外交の難題を、次々にクリアさせていったのだった。

 さて、前回の東京五輪の開催が決まった直後の池田勇人政権で、田中は自民党政調会長と蔵相を務めた。政調会長就任は1961年7月、その1年後から五輪開催の64年10月も蔵相を務めていた。

 この間、田中はやがて「強大無比」と言われることになる政財官の人脈を構築しつつあった。この人脈を駆使、五輪成功へ向けて汗をかいていたのである。

 いい例が、選手村づくりだった。当時、渋谷区代々木の米軍住宅「ワシントン・ハイツ」案が浮上したが、まず東京都が反対した。ハイツがいずれ国に払い下げられた場合、公園をつくる予定だから「ノー」を言い出したのだ。一連の議論の最中には、NHKも横やりを入れ、ハイツ跡地の一部払い下げで国に渡りをつけ、都議会の猛反発を得るといった混迷ぶりであった。

 こうした混迷の調整・根回しに動いていたのが、池田政権の川島正次郎幹事長と、政調会長、蔵相としての田中だった。互いに利害関係で結ばれていた仲でもある。川島は別名「ズル正」、裏工作には百戦錬磨の実績を持つ、したたかな人物で通っていた。

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