【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】縦断高校野球列島(26)~滋賀~ 水色の近江“三本の矢”支えた小森捕手 瀬田工のゆる~いエース、甲西は初出場ながらも伝統校のごとし! 黄金時代築いた多賀監督 (1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【実況・小野塚康之 時代を超える名調子】縦断高校野球列島(26)~滋賀~ 水色の近江“三本の矢”支えた小森捕手 瀬田工のゆる~いエース、甲西は初出場ながらも伝統校のごとし! 黄金時代築いた多賀監督 (1/2ページ)

 “看板の瀬田工”、“KKコンビに負けぬKの甲西”、“水色の近江”と滋賀県の高校野球はその印象がまぶたに焼き付くものが多い。

 まず、瀬田工業の看板とは中学生の頃無意識に眺めていた新幹線の車窓から目にしたものだ。たまたま野球部が練習していた。「瀬田といえば唐橋、唐橋は琵琶湖に架かり、そうか琵琶湖だから滋賀県の学校だ!」そんな連想ゲームで校名を意識して「確か甲子園にも出ていたよなぁ」と思いを巡らせた。

 1980年、その瀬田工業が春夏続けて甲子園出場を果たした。私がNHKに入社した年だ。通りすがりに覚えた学校だがセンバツに登場するとあってとても身近に感じうれしかった。試合をマークしていた。

 春は香川の丸亀商業に1対6で初戦敗退した。残念だったが健闘に拍手を送った。そして夏は想像を超える快進撃だった。ベスト4進出だ。春から夏への変わり身というのか、ものすごいチームになっていた。打撃戦あり、接戦あり、投手戦あり、変幻自在に戦う。

 この年のエースが忘れられない。超軟投派の布施寿則。右のアンダーハンド。秋田商業を完封したときのピッチングにはほれぼれした。プロ注目の本格派右腕高山郁夫(現・オリックスコーチ)と渡り合った布施はとにかくボールが緩い。90キロか80キロ、いや70キロ台もあったのではないか。速球は120キロくらい。スピード表示がない時代だから何とも言えないが緩急どころではなく「緩」から「超緩」なんていう切り替えもあった。

 打者は待ちきれない。逆に思い切って溜めれば差し込まれる。イラつく打者に飄々(ひょうひょう)たる布施、小柄で眼鏡をかけていたがフレームが目の上の直線の部分だけちょっと太めのシルバーで、インテリ風ともツッパリ風とも受け止められるような微妙に相手を刺激する雰囲気が漂いピッチングのアクセントにもなっていた。春に14安打とコテンパンに打たれた布施の意地を夏に見た気がした。

 1985年夏、清原和博、桑田真澄コンビのPL学園を筆頭にスター選手がひしめき強豪校が居並ぶ中で初出場の甲西が堂々と光を放った。右の本格派エースの金岡康宏が3回戦の久留米商業との延長戦、投げ合いに粘り切り逆転サヨナラを呼んだ。また攻撃陣では主将で4番の石躍雄成が常に勝負強さを発揮した。

 このチームは初出場ながら“伝統校のごとし”と思わせた。準々決勝の佐々木主浩(大魔神佐々木)擁する優勝候補の一角、東北(宮城)戦のことだ。接戦の中盤、虚をつく安富秀樹のプッシュバントで得点したり、9回裏サヨナラに持ってゆく場面では、奥村伸一が佐々木のモーションを完全に把握し勝負を賭けた盗塁を決めるなど激しく揺さぶり突破口を切り開いた。共に2年生だ。

 野球を良く知る選手たちが奥村源太郎監督の采配のもと縦横無尽に甲子園を駆け回った。創部3年、フレッシュとか旋風などと捉えそうだがこのチームは地に足が付き実にクレバーだった。清原桑田がKKコンビとして話題を独占していたがK?SEIの『K』も忘れ得ぬ記憶となった。

 2001年夏、県勢初の準優勝の近江、その原動力は“3本の矢”といわれ、見ている者をひきつけた。先発は右の竹内和也、中継ぎが左の島脇信也そして抑えが右の清水信之介。どこでつなぐのか。この継投は自信の証しだ。切り替えた投手が好投できるとはかぎらない。トーナメントだからなおさら重圧がかかる。それがほぼ完璧に勝利を呼び込み続けた。

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