【大鶴義丹 やっぱりOUTだぜ!!】「来たときよりも美しく」は誰のため? バーベキュー、火の不始末やごみ放置問題が複雑化 - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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「来たときよりも美しく」は誰のため? バーベキュー、火の不始末やごみ放置問題が複雑化

 夏の終わりになると、必ず話題になるのが、河川敷などで行ったバーベキューの火の不始末や、ゴミ放置だ。大抵は若者たちがヤリ玉に挙げられるが、中にはいい年をした家族連れなどの場合もある。

 美しい渓流などで有名な奈良県の天川村では、一部、モラルのない悪質な観光客に手を焼き、河川でのバーベキューの全面禁止という条例を策定した。

 だが、それでもルールを無視した若者が隠れてバーベキューを行っており、問題解決にはなかなか至らないという。

 こうした「バーベキュー狂想曲」は、コロナ禍前からも夏の風物詩としてマスメディアが取り上げていたが、コロナ禍での越境問題も重なり、さらに複雑化しているようだ。

 私自身もキャンピングに使えるような大型のRV車や特殊なオフロードバイクを持っていて、アウトドア系の娯楽をたしなむことも多い。

 当然であるが、火やゴミの処理についてはとても気を使っている。場所によっては、リスクを避けるために、ガスコンロのみで、木や炭を燃やさない選択をすることも多々ある。アウトドアにおける最大の目的がバーベキューではないからだ。

 「来たときよりも美しく」

 これはアウトドアを楽しむ者たちの合言葉であるが、私は何も安っぽく飾った自然への愛うんぬん、うわべだけのマナー論を言うつもりはない。

 私の話をすると、アウトドアで遊んだ後、他人の残したゴミまでを持ち帰ることなどは当たり前だ。それは先輩から教えられたスタイルだが、自然保護など偉そうな話ではなく、実は利己的な目的も含んでいる。そのフィールドが荒れることにより遊び場がなくなるのを避けるために、他人のゴミも持ち帰るのだ。

 アウトドアの遊びというのは、山登りから釣り、キャンプ、自然に対して大なり小なりの「罪」を含んでいる。自然への愛などと美辞麗句でごまかしても、自然の最大の天敵は人間だ。

 「自然を愛するのであれば、自然に近づかなければいい」という、アメリカの有名な経済学者の名言もあるくらいだ。

 大自然には申し訳ないが、私はアウトドアで遊ぶのが好きだ。避けられない「罪」の中で、一番小さなものを選び、また現地に住む方たちに対して、なるべくストレスにならないスタイルを取り続けることが、この遊びを長く続けられる「得策」だと思っている。

 だから、毎年夏になるとメディアをにぎわす「バーベキュー狂騒曲」のトラブル映像などを見ると、マナー以前に彼らは、その夏の瞬間における消費的なことしか考えていないのだと思う。

 夏が終われば、後は知ったことではない。自分の庭を荒らされたような思いになるであろう、現地の人の気持ちも遠い絵空事。

 だが、夏が終わって秋になっても、冬になっても、長きにそのフィールドで遊ぶことを愛している者は、そのフィールドが荒れることや、現地の住民とのトラブルを何よりも避ける。

 ■大鶴義丹(おおつる・ぎたん) 1968年4月24日生まれ、東京都出身。俳優、小説家、映画監督。88年、映画『首都高速トライアル』で俳優デビュー。90年には『スプラッシュ』で第14回すばる文学賞を受賞し小説家デビュー。YouTube公式チャンネル『大鶴義丹の他力本願』も更新中。

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