【乱世の地銀(中)】地銀や信金ができる現代版の殖産興業と借財削減策とは 外部資金導入と本来業務の徹底を - zakzak:夕刊フジ公式サイト

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【乱世の地銀(中)】地銀や信金ができる現代版の殖産興業と借財削減策とは 外部資金導入と本来業務の徹底を

 江戸中期の米沢藩主、上杉鷹山は、新田開発や殖産興業、麻糸の原料のアオサ、漆、蝋(ろう)などの生産に相当な努力をしたようだ。それでも財政再建を担当する部下を3回も替えている。成功しそうになると藩内外の反発が起きたり、幕府から公的な施設や設備を藩に行わせることで、金を使わせ反抗を不可能にする施策を命じられたりして頓挫する。

 その中で成功したといえるものは三谷家、渡辺家などの貸主(大名貸と呼ばれる諸藩への融資)を知行取り(家臣)に取り立て、融資の継続と利子の減免を図ったことだ。

 幕末の薩摩藩で家老を務めた調所広郷(ずしょ・ひろさと)のケースでは、橋の建設などの公共事業、黒糖などの殖産興業に努めたが、決定的だったのは500万両という大借金を事実上棒引きさせたことだ。当時、藩の年収が約13万両だったところ、年間利息だけで年80万両もあった。それを無利子で250年という条件をのませたという。

 500万両をどぶに捨てるより、わずかでも返済をしてもらうのがよいと考えた貸し手の商人の苦渋の判断と、調所の辣腕(らつわん)交渉ぶりが際立つ。

 この教訓を現代に当てはめると、地銀や信金の借金棒引きということになるが、実際に行える施策は「公的資金の免除」や「上部組織からの資本金の償却」ということになろうか。それには反発も予想されるので、地道に地銀や信金にとって収益の上がる新規事業や、株式や出資金など、資本性の高い外部資金の導入となるだろう。

 それを行うための指針の一つは「戦略」だ。従来型の横並びをやめ、確とした経営哲学のもとに独自の施策を実行する。例えば、向こう3年の収益は問わないので徹底して顧客が喜ぶことをするなどだ。

 そして従来、顧みられなかった銀行の本来業務を徹底して行う。一例としてベンチャーキャピタル(新興企業への投資)が挙げられる。融資と投資は似て非なるものなので、これを本格的に行うには外部人材の招聘(しょうへい)が不可欠だ。

 もう一つは思い切った「人材登用」。女性や若手をどんどん主要なポジションにつける。そのためには旧来の慣習にとらわれがちな人事部や経営企画部は廃止してもよいかもしれない。

 若手とは50代の行員や職員のことではない。30代、さらには20代のことだ。ただ、やる気、ビジョンと人望があるシニアは別だ。ポストにしがみつかず、大久保彦左衛門的に経験が少ない若手にアドバイスしたらよい。

 ■津田倫男(つだ・みちお) フレイムワーク・マネジメント代表。1957年生まれ。都市銀行、外資系銀行などを経て独立。企業アドバイザーとして戦略的提携や海外進出、人材開発などを助言する。著書に『銀行トリプル大崩壊』(徳間書店)、『銀行のことよくわからないまま社会人になった人へ』『40歳からの貯めるコツ、使うコツ』(ともに海竜社)など。

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