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【東京舞台さんぽ】大正中期にオペラ文化が開花 興行街として発達した東京・浅草「六区」 (1/2ページ)

 東京・浅草の「六区」は明治以来、興行街として発達した。浅草寺境内が太政官布告に基づく「公園地」になり、7つの区に分けられたうちのひとつが六区。映画館や劇場が軒を並べ、人の波であふれた最盛期のにぎわいは現在、過ぎ去った夢のようだが、再開発が進む街の所々に、その面影が宿っている。

 「浅草六区通り」と名付けられた100メートルほどの商店街は、浅草ゆかりの役者、芸人、作家などの写真を街灯の柱に飾っている。どれも懐かしい顔だが、その中にテノール歌手、田谷力三(1899~1988年)のポートレートがあった。

 田谷はいわゆる「浅草オペラ」の看板スターだった。外来のオペラを大衆化し、オペレッタや歌入り喜劇を中心に据えて大正中期の浅草で花開いた浅草オペラ。「金竜館」「日本館」「観音劇場」などに集まる熱心なファンたちは「ペラゴロ」と呼ばれた。谷崎潤一郎の未完に終わった長編小説「鮫人」も、オペラ人気が華やかだった時代の浅草を舞台にしている。

 興行街の中心だった目抜き通りは今、さまざまな商業ビルの集まる場所になったが、過去の歴史にちなんで「六区ブロードウェイ」と命名されている。浅草六区通りを歩いてきてこの道と出合う交差点付近には、浅草演芸ホール、東洋館、日本最古の常設映画館の名前を受け継ぐ複合ビル「浅草電気館ビル」などがあって、エンターテインメントのにおいが漂う。

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