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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】苦し紛れに出た「GetUp GetUp」のフレーズにヒット確信 衣装や振り付けも自らイメージした『DESIRE-情熱-』 (1/3ページ)

 「来年も明菜で(レコ大を)獲りにいく! それにふさわしい曲を頼むぞ」

 ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で中森明菜の制作ディレクターだった藤倉克己(現音楽プロデューサー)は東京・青山1丁目の新青山ビル東館14階の本社会議室で寺林晁(現エイベックス・エンタテインメント・レーベル事業本部アドバイザー)からいきなり言われた。

 1985年、暮れも押し詰まった頃のことだ。寺林は、明菜のデビュー以来、制作と宣伝を統括してきただけに明菜への思い入れは人一倍だった。

 藤倉は「その年のレコ大が獲れるかどうかも分からない中で、来年も…といわれたことに戸惑った」と振り返る。

 「2年連続で大賞を狙うなんてむちゃくちゃだと思いました。僕には現実味はなかったのですが、お前だったら明菜に2年連続で獲らせることができると言い出すし、連日、制作の進行状況を聞いてくるので、逆にプレッシャーでしたね」

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