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【波瀾万丈 山川豊歌い続けて40年】19歳で上京…東芝EMIの社員になって学んだスタッフの苦労 『函館本線』でデビューも一波乱 (1/2ページ)

 デビュー40周年を迎えた歌手、山川豊(62)。もともと歌にはあまり興味がなかったという。

 「兄貴(鳥羽一郎)は歌が好きだったけど、僕はあんまりだったの。でもテレビで『よこはま・たそがれ』を歌う五木ひろしさんをみて、衝撃を受けたの。この人みたいになりたいって」

 職業訓練校を経て自動車会社に就職したが、「仕事をするより、会社を休んで五木さんのレコードを聴いて歌っていたからね。1年ぐらいで辞めてしまったよ」。

 名古屋のキャバレーで歌っていたところをレコード会社関係者の目にとまり、19歳で上京。すぐにデビューできるかと思いきや、簡単にはいかない。

 「東芝EMIの社員になってスタッフとして営業に回っていました。そこで学んだのはスタッフの苦労。だからこそ、デビューしてからもスタッフあっての自分と思えるようになったの。いい経験でした」

 そこから3年後、22歳のとき、ようやく『函館本線』でデビューできることになったが、ここからも一波乱。

 「今までも僕の歌い方はすべて奪われました。この曲にこぶしはいらないって。それまでは五木さんのまねをしていたけど、五木さんは2人もいらないということ。でも、自分自身を変えられるのは嫌でしたよ。その後、こぶしをうまく回せなくなったし。でも、最初にこぶしを捨てたのが良かったのかもしれない。それで『山川豊』はスタートラインに立てたし、後の『アメリカ橋』があったと思うんです」

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