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【田所龍一 虎番疾風録 Vol.39】小早川毅彦とサンケイスポーツ 高校野球がつないだ小さな“縁”が“宝物”に (1/2ページ)

 高校野球の取材ではたくさんの“宝物”を得ることができる。その最大のものが人との「つながり」である。将来、プロ野球の大スターになるかもしれない逸材たちとの交流。今大会の出場選手の中にも、後年、プロ野球で活躍した選手がたくさんいた。

 浪商の香川伸行(南海)、牛島和彦(中日)、箕島の嶋田宗彦(住友金属-阪神)、高知商の森浩二(阪急)、中西清起(きよおき)(リッカー-阪神)、そしてPL学園の小早川毅彦(たけひこ)(法大-広島)である。不思議なことに小早川とは、ずっと取材接点がなかった。もちろんPL学園の取材には何度も行ったが、常にテーマは「逆転のPL」。香川や牛島のように個人で取り上げることはなかった。はるか後年、小早川が広島の打撃コーチをやめ、平成22年にサンケイスポーツの評論家になったとき、はじめてつながりを持った。

 小早川とサンケイスポーツとは“小さな因縁”がある。昭和54年12月、彼は淡路島・洲本で行われた法大野球部のセレクションを受けた。PL学園・鶴岡泰(やすし)監督に連れられ神戸港から洲本港へ渡る高速艇の中で、一人の青年と出会った。ポツンと心細そうに座っている青年に鶴岡監督が「君もセレクション受けるんやろ? ほな一緒に行こう」と声を掛けたのである。青年の名前は吉川達郎、國學院久我山(東京)からの受験生だった。

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