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【ぴいぷる】不慮の事故で下半身不随も…奮い立ちパラリンピック3度出場 日本の車いすアスリートの先駆者・山本行文さん (3/3ページ)

 そして、初めて出場した「大分国際車いすマラソン」では総合で9位、日本人で2位という成績をおさめた。その後、日本一に上り詰め、パラリンピックも経験した。

 より多くの国際大会に出るため、31歳で自衛隊を退官し、熊本機能病院での勤務を始めた。同じ境遇にある人たちの相談に乗るようになり、「やるからには資格をとらないと失礼だ」と、先述した練習後、さらにケースワーカーの通信教育にも取り組んだ。大変だったのは、手が震えてペンが持てないことだったという。

 現在、指導者として後輩を育成している。競技の感覚が必要と、大会に出場することもある。夫人と暮らす自宅のトレーニング室には、全国からさまざまな事情で障害を持つ人たちの訪問が絶えない。

 たった一人で、日本の記録を塗り替えてきたが、今は多くのチャンレンジャーたちの目標であり、「仲間」なのだ。 (ペン・桜林美佐)

 ■山本行文(やまもと・ゆきふみ) 1954年11月4日、熊本県生まれ、64歳。73年、陸上自衛隊入隊。77年、演習場での作業中の事故で下半身不随に。83年、大分国際車いすマラソン大会で国内1位(=その後、国内7連覇)となる。当時の日本最高記録を樹立。84年のニューヨーク・アイレスベリー、88年のソウル、92年のバルセロナと、3回連続パラリンピックに出場する。87年、全国車いすマラソンなど優勝多数。現在、熊本機能病院顧問。

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