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【ぴいぷる】不慮の事故で下半身不随も…奮い立ちパラリンピック3度出場 日本の車いすアスリートの先駆者・山本行文さん (1/3ページ)

 ■1カ月半も動けず

 「自衛官は天職だと思っていました」

 そんな希望にあふれていた陸上自衛隊第8特科連隊(熊本)所属の陸曹候補生だった20代のころ、作業中の事故で下半身不随になってしまった。少年時代から運動が得意で、自衛隊でもバレーボールや柔剣道などで活躍していた矢先だった。

 「背後の崖が突然崩れたんです。当時は携帯電話もありませんから、みんなが板を担架にして運んでくれました。揺れるトラックの中で、とにかく激痛に耐えるしかありませんでした」

 重傷で、対応できる病院がすぐに見つからず、やっとたどり着いての診断が「第一腰椎圧迫骨折」。脊髄損傷のほか、膝から下の腓骨(ひこつ)や脛骨(けいこつ)も折れていて、長時間の手術の後はベッドの四隅に柱が立てられ、全身をつり下げられて固定されたという。

 「食べるのもトイレも、ずっと上を向いたまま。とにかく、少しも動くことができない。その状態が1カ月半ほど続きました」

 寝返りができないだけでも辛いのに、そんな姿勢のまま、止まない痛みが続いた。自分の体が元通りになるのか分からない、想像を絶する不安の中で過ごさなくてはならなかった。よほど強靱(きょうじん)な精神力の持ち主に違いない。

 「精神的に追い詰められるなか、仲間が看病してくれたことが励みになりました」

 24時間態勢での母や姉の付き添いだけでなく、見れば、その傍らにはいつも必ず自衛官の姿があったのだ。

 文字通り身動きの取れない状態で耐えた。その状態から解かれると、今度は「立つ訓練」、そして「歩く訓練」へと進めていった。

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