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【元巨人 クロマティが斬る】広島遠征中、息子たちと平和記念資料館へ 戦争がいかに悲惨かを知ってほしかった (1/2ページ)

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 私は巨人の一員として最初に広島を訪れた時のことが忘れられない。その後何度も訪れたが、いつも何か居心地の悪さを感じていた。

 言うまでもなく、広島はアメリカが1945年に原爆を落とし破壊した町だ。バスの窓越しに見た原爆ドームを今でも鮮明に覚えている。

 88年、私は息子たちを平和公園に連れて行った。歴史を見せ事実を知ってもらうためだ。私は第二次世界大戦の終わりに米軍が広島と長崎に原爆を落としたことを息子たちに話した。広島平和記念資料館にも連れて行った。起きたことの重大さを理解してほしかったからだ。夏に東京に来てキディランドで遊ぶだけでなく、日本という国を知ってほしかった。

 戦争の歴史を短く説明し、写真を見せた。焼けただれた死体。歴史上初の放射能による犠牲者の群れ。人類が作った最も破壊的な兵器。

 子供たちはまだ幼く、クリスが12歳、カンダンスが10歳。三男コーディはベビーカーに乗っていた。しかし、戦争がいかに悲惨なものであるかを知ってほしかった。兄2人にはそれが伝わったようだ。この思い出は、彼らの人格形成に何らかの影響を与えたと思う。

 もちろん、私が広島に行った主な理由は野球の試合をするためだ。

 私の巨人での最初の年(84年)、カープは日本一に輝いた。山本浩二、衣笠祥雄、北別府学ら、そうそうたるメンバーがいた。達川光男はとてもいい捕手だったが、おしゃべりだった。

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