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【清水満 SPORTS BAR】原辰徳さん“3度目”で思い出した…ビリー・マーチン監督の闘志 (1/2ページ)

 1950年代の大リーグに、ビリー・マーチンという男がいた。ヤンキース黄金時代の二塁手である。

 選手時代はミッキー・マントル、ロジャー・マリスら主力に隠れて目立たぬ存在だったが、後に監督として大いにクローズアップされた。

 69年にツインズ、71年からタイガースで指揮を執り、ともに地区優勝。レンジャーズを経て、古巣ヤンキースの監督に就任したのが75年シーズン途中。76年にリーグ優勝、77年はドジャースを下して世界一になった。

 ところが、主砲のジャクソン、当時のヤ軍オーナーであるスタインブレナーとの確執が取り沙汰され、78年のシーズン途中に解雇…。79年に復帰、そのオフ解雇。結局、88年を最後にユニホームを脱いだ。ヤ軍とは5度の監督契約、5度の解任という希有な経験をしたが、リーダー・シップはすごかった。

 『(1)ボスは常に正しい! (2)ボスが間違ったと思ったら(1)を見ろ!』

 単純だが、マーチンの勝利へのストレートな思いが一瞬で理解できる。

 “けんか屋マーチン”の異名を持ち、感情を表に出す闘将の姿は、常にファンを熱狂させた。

 拙稿も、その熱狂ぶりを見た。81年だ。ニューヨークのヤンキースタジアムでア・リーグ優勝シリーズがあった。アスレチックスの指揮官としてマーチン監督が球場に姿を見せた。

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