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【神谷光男 スポーツ随想】「殺人タックル」問題 日大は内田監督が大学役職も辞めない限り、立て直せない

 アメリカンフットボールの定期戦で日大の選手が悪質な反則行為で関学大QBを負傷させた問題は、日大側が発生から2週間近く会見すら開かず、19日に内田正人監督がようやく辞任を表明した。組織のガバナンスが機能していないといわれても仕方がない。

 無防備な状態でタックルを受けた関学大QBは最悪の場合、車椅子生活を余儀なくされかねない状況だった。「(反則を)やるなら出してやる」と内田監督の指示があったとされる。

 「内田氏は日大の常務理事で人事担当。日大は付属高校や関連施設を合わせると約1万3000人の教職員がいる。その人事権を一手に握っている。周りは何も言えないのではないか」と日大関係者は言う。

 かつて日大には、篠竹幹夫(2006年死去)という名監督がいた。1959年から44年務め、「ショットガン」という独自のフォーメーションを編み出して日大黄金時代を築いた。

 “鬼の篠竹”の異名をとり、鉄拳制裁も辞さないスパルタ指導の半面、繊細でシャンソンを愛しロシア生まれの名曲『百万本のバラ』を原語で歌い、詩も書くなど魅力ある人柄で学生は黙ってついていった。

 「反則というのは、つきつめればプレーの未熟さから生じる」が持論で、基本練習を徹底して繰り返した。ライバル関学大の米田満監督(当時)とも仲がよく、自分は下戸なのに合宿所の監督室には「ヨネヤンが遠征で来たら飲む」と洋酒を取りそろえていた。

 「同じワンマン監督でも、篠竹さんは間違っても“反則してこい”とはいわなかった。遠征試合に行くと、ロッカールームにチリ一つ残さない。日大はしつけが行き届いていると感心されたと聞く」と前出の関係者。

 そんな伝説のチームがいまサンドバッグ状態。内田氏が大学の役職も辞めない限り、かつての姿には戻れないだろう。(作家・神谷光男)

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