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【高校野球 新・名将列伝】「選手諦め指導者として…」野球人生の原点に 浦和学院・森士監督 (1/2ページ)

★浦和学院・森士監督(2)

 2013(平成25)年の春に甲子園優勝監督の仲間入りした森士(もり・おさむ、53)だが、選手時代は不遇だった。

 高校-大学を通じて公式戦の出場は1度もなく、背番号ももらえなかった。「私は、選手としては失敗作なんです」

 1964(昭和39)年に埼玉県浦和市(現さいたま市)に生まれた森は、小5の夏に浦和球場で高校野球を観戦。勝って引きあげる上尾の監督・野本喜一郎とナインの背中を追いかけた。そのオーラに圧倒された。

 上尾は当時、公立校ながら埼玉県高校野球のトップに君臨していた。前年の夏に甲子園出場。森が背中を追いかけたその夏は連続出場し、準々決勝で原辰徳(前巨人監督)のいた東海大相模(神奈川)を破った。指揮する野本は関東地区で屈指の名将として全国に名前が知れ渡っていた。

 「すごいチームだった。野本監督の下で野球がしたかった」

 勉強の道か、野球の道か迷った森は、「野球」を選ぶ。親の反対も押し切った。中3の時にエースとしてチームを全国大会3位に導いた実績も自信となり、野本野球の門をたたいた。

 だが、他の選手と競争さえできない3年間だった。肘や肩の故障が多発。3年時にチームは春の甲子園に出場したが、スタンドで応援に声をからすしかなかった。

 選手として諦めきれずに東洋大に進んだものの、ここでも故障に泣いた。大学1年が終わる頃、森は指導者の道に目を向けることになる。

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