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【ぴいぷる】最大限の情熱で挑戦する姿勢 20世紀代表するバレエダンサー、ミハイル・バリシニコフ氏 (1/2ページ)

 ミーシャのニックネームで親しまれ、20世紀を代表するバレエダンサーの一人。空中で静止したかにも見える優雅な動きや繊細な表現で観客を魅了してきた。

 旧ソ連・ラトビア共和国のリガに生まれ育つ。父は軍人、母は仕立屋で経理担当。クラシック・バレエへの興味は少年時代に育まれ、芸術を愛した母の影響が大きい。

 「母はオペラや演劇、バレエの公演によく連れて行ってくれました。あるとき、私はオペラ公演でステージに立つ子供たちを見て『なぜ僕はここに座っているだけなの』と尋ねました。私も舞台に立ちたかったのです」

 学校探しに奔走した母の努力が実り、ラトビアの名門に入学。在学中の16歳のとき、旧ソ連の名門「ワガノワ・バレエ・アカデミー」の高名な指導者、アレクサンドル・プーシキンの目に留まり、同校へ転入した。

 「プーシキン先生が何度も念を押したのが『若いダンサーにとって最も厳しい批評家は自分自身であれ』でした」。その後のダンサーとしての哲学となった。

 1967年に卒業後、旧ソ連随一のバレエ団「キーロフ・バレエ」(現マリインスキー・バレエ)に入団し、トップダンサーとなった。「ヴェストリス」(69年)などで主演を重ね、モスクワ国際バレエ・コンクールで金賞も手にした。順風満帆なキャリアに見えたが、74年に公演中のカナダで冷戦下の米国へ亡命する。

 「現役生活は長くても20年ほどです。だから私は伝統や格式にとらわれず、芸術的情熱を十分に発揮できる場所を見つけ働きたかったのです。当時のソ連の政治状況は芸術家の自由な表現を制限するなど、居心地が良くなく、私は西側に移る決意をしました」

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