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【江尻良文の快説・怪説】「プロ野球・東京のロストボールパーク」展 長嶋氏の天覧HRバットなど“後楽園伝説”が満載

 野球殿堂博物館(東京ドーム21番ゲート右側)で8日から始まった「プロ野球・東京のロストボールパーク」展(11月19日まで)。昭和プロ野球の舞台となった、今はなき後楽園球場、駒沢野球場、東京スタジアムなどが紹介されている。

 最大の目玉は、1959(昭和34年)年に後楽園で開催された天覧試合で実際に使用した、巨人・長嶋茂雄のホームランバットの展示。26年ぶりの一般公開でファン注目のマトだ。後楽園といえば王貞治が放った、ハンク・アーロンの米大リーグ記録を超える通算756号というファンもいるだろう。

 プロ野球記者歴46年目の筆者には、他にも思い出がある。中でも全試合が後楽園球場だけで開催された史上初の珍事、81年(昭和56年)の日本シリーズは特筆される。

 藤田元司新監督率いる巨人と、就任6年目の大沢啓二監督が指揮を執る、球団買収後初優勝の日本ハムが激突。4勝2敗で藤田巨人が日本一になっている。

 両チームともに後楽園を本拠地にしていたので、前代未聞の1カ所での日本シリーズが実現したのだ。パ球団本拠地からスタートの年だったが、ホーム一塁側、ビジター三塁側のベンチを入れ替えただけ。

 後楽園が日本プロ野球界初の人工芝球場となった76年(昭和51年)には、監督就任1年目の前年度に球団史上初の最下位になっていた長嶋監督が奇跡の優勝を果たした。最下位の前年オフ、東京・田園調布の自宅の庭に後楽園と同じ人工芝を敷き詰め、「実際にボールを転がしてみて、どういう切れ方をするかチェックしたりしているんだよ。来年は何がなんでも優勝しなきゃいけないからな」と真剣な表情で語っていたのを思い起こす。

 巨人・王貞治監督は就任4年目の87年(昭和62年)に初めてリーグ優勝したが、この年が後楽園のラストイヤーだった。そして王監督の最終年になった翌88年(昭和63年)に、東京ドームが開業している。

 永遠のスーパースターONには、天覧試合での初のアベックホーマーなど数々の後楽園伝説があるが、監督としても忘れられない足跡を残している。(江尻良文)

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