政争に翻弄された戦後初の国産輸送機 空自「C−1輸送機」 (1/2ページ)

2017.04.21

「C−1輸送機」
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 戦後、航空自衛隊が発足すると、米国から輸送機を供与された。第二次世界大戦中に3000機以上生産され、主力輸送機として活躍したC−46カーチスだ。1954年から36機を受け取った。輸送機だけでなく、電子戦訓練機や飛行試験機など派生型も生み出し、空自を支えてきた。

 60年代に入ると、機体の老朽化が目立ってきたこともあり、後継となる輸送機の選定を開始することになった。

 ここで米国は54年に初飛行に成功し、56年から運用を開始したC−130を提案する。だが、防衛庁はこれを退け、次期輸送機を国産することに決めた。

 こうして、国産旅客機YS−11を完成させた日本航空機製造(日航製)が次期輸送機を作ることに決まった。並行して人員輸送用として、65年からYS−11の配備も開始した。

 国産輸送機計画は進み、69年に試作1号機が作られ、翌年、初飛行に成功した。

 ただ、「航続距離を長くすると、他国侵略の足掛かりになる」と批判され、わざわざ航続距離を短くした。さらに、「民間機だけを製造することを掲げて設立された日航製が軍用機を作るのは違法だ」と横やりが入った。

 そこで、主契約企業を川崎重工へ変更する異例の事態に。紆余(うよ)曲折を経て、71年に「C−1輸送機」は空自へと引き渡された。

 ここで大きな問題が生じた。72年に返還された沖縄まで、本州からでは無給油では飛んでいけなかったのだ。機内に追加の燃料タンクを積み込むため、荷物量を減らすというのは本末転倒だった。輸送機としては致命的な弱点である。

 

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