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【勝負師たちの系譜】古き良き昭和の将棋界 連盟の財政が厳しかった頃…勝者が敗者にご馳走する“暗黙のルール” (1/2ページ)

 四段になると、奨励会では桂材の4寸盤に彫駒、自分で押すチェスクロックが、榧の6寸盤と盛上駒に代わり、記録係が付く。

 すべての棋戦に出場でき、固定給と対局料が入るのだ。また総会で理事を選ぶ投票権と被選挙権も得る。会社で言えばアルバイトから、一気に株を持つ役員に昇格するようなものである。

 しかし、私が棋士となった1974(昭和49)年頃は、金銭的には厳しい時代だった。

 初めてもらった給料(固定給)は、会社員の初任給が7万円ぐらいの時代に、1万3000円。経理に「全部の棋戦に出場するようになれば(1年先)正規の金額になります」と言われた。

 なるほど毎月少しずつ増えるが、2万8000円でストップし、それが正規の給料だった。

 連盟の財政が厳しかったのは、60年頃(初任給1万円台)から75年(同8万円ぐらい)頃までの約15年間、世間が高度成長の時代にほとんど棋戦の契約金が上がらなかったからだ。

 ゆえに当時は、負けた方が勝った相手にご馳走になれる、という暗黙のルールがあった。勝った人は、次の対局料がまた入るからということだ。

 これを私は順位戦でやられたことがある。C級2組当時、順位戦は最終2局を同じ週の火・金で指すため、大阪に遠征した。

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