記事詳細

【軍事のツボ】ブルーインパルス元隊員が語る震災と五輪の輪と新型コロナウイルス (1/2ページ)

 今年3月20日、東京五輪の聖火が航空自衛隊松島基地(宮城県東松島市)に到着した。上空に5色のスモークで五輪マークを描いて出迎えたのが空自アクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」だ。2011年3月の東日本大震災で松島基地は大きな被害を受け、同基地を本拠としているブルーインパルスも大きな影響を受けただけに、復興五輪を象徴する場面だった。しかしその後、新型コロナウイルスの猛威が世界中を席巻し、東京大会は約1年延期に。震災時にチームに所属していた隊員らは、どのような思いで5つの円を見つめ、そして延期された五輪と「コロナとの戦い」に何を思うのか。

 聖火が松島基地に到着したのは、東京五輪が延期されるか微妙な時期だった。当日は最大瞬間風速20メートルを超える強い風が吹いていた。小枝が折れ、風に向かうと歩けないとされるほどの風だが、青く塗られた5機のT-4は直径約1200メートルの5つの円を東松島市上空に描いた。

 「聖火が松島基地に降りるのは、復興の象徴。だから風がやんでほしいとずっと念じていた。同期も飛ぶ、何とか成功してほしいと」

 山本晋司3佐は、その瞬間を東京・市ヶ谷の防衛省内に設置された中継モニターで見つめていた。現在は航空幕僚監部広報室勤務で、ブルーには2010年9月から2012年4月まで所属していた。震災時は2番機の訓練生だった。

 また当時、5番機だった乃万剛一2佐は「ここまで戻ったんだと感じた。前に進んでいるのをすごく感じられてうれしかった」と語る。ブルーには2013年10月まで所属し、現在は九州地方の基地で司令部勤務だ。

 ただ残念なことに、強い風が描くそばから5色のカラースモークを流してしまった。

 「風が強いと難しい。飛んだ隊員はかなり頑張ったと思う。風に流されるので、それを計算して経路を作るのは大変」と堀口忠義3佐は冷静に分析した。堀口3佐は2010年12月から2014年1月までブルーに所属し、4番機だった。現在は飛行開発実験団でテストパイロットを務める。

 山本3佐も「上空はすごく揺れたはず。それを感じさせないくらい、整斉と飛んでいた」と評価した。

 世界の空軍にアクロバット飛行チームは数あるが、これまでに五輪の輪を描いたチームはブルー以外にないとみられる。円を描くだけなら簡単だが、5つの円をきれいに重ねるのは難しいという。

 「5つの円の間隔が正しくそろわなくてはならない。描き始める起点は、パイロットが隣の機との位置を目測して決める。描き始めてからは決められたGを保持して旋回しないといけない。そして円が一つでもずれたら五輪に見えず、とても難しいと思う」(山本3佐)

 2011年3月11日の東日本大震災が発生した日、ブルーは芦屋基地(福岡県)にいた。翌日予定されていた九州新幹線開業イベントで展示飛行をするため。しかし大震災で展示飛行を含めイベントは中止。しかも松島基地が津波に襲われ、ブルーは芦屋基地にとどまらざるを得なくなった。