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【勝負師たちの系譜】心に残る先輩の言葉 芹沢博文九段「四段で喜んでいるヤツは、将棋連盟には要らねえ」 (1/2ページ)

 私と同じ静岡県出身で、沼津市生まれの芹沢博文九段は、若い頃から天才の呼び声が高かった。

 19歳で四段になった後は、C級2組で1期足踏みしただけの5年で、A級に登った。

 行動は破天荒で、口も達者な氏は奨励会時代、幹事の先生から「芹沢君、○○-○○戦の記録を取ってくれ」と言われた時、「私より弱い人の記録係はやりたくありません」と言って、断ったことがあると聞いた。

 「俺の才能は中原(誠16世名人)と同じくらいだったと思うが、彼は人より多く努力しなければ一番になれないと思っていたのに対し、俺は飲む、打つ、買う、をやりながら名人になれると思っていて、その差が出た」と後年、自嘲気味に話していたという。

 若い頃から8桁の借金があり、取り立て屋が対局日ならいるだろうと、会館の前で待っていたというから、将棋どころではなかったろう。

 氏は大変なアイデアマンでもあり、将棋連盟の広報担当の仕事をしていた時に、第1回の「将棋の日」イベントを大相撲の国技館でやり、8000人の観客を集めたのが、今でも将棋界最大のイベントとなっている。

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