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【東日本大震災から9年 忘れない、立ち止まらない】亡き人を思う日 初めて明かされた9年分の胸の内 岩手県陸前高田市で追悼式典 (1/2ページ)

 東日本大震災の発生から丸9年を迎えた11日、岩手県陸前高田市では感染症対策を取ったうえで、追悼式典が挙行された。2011年4月から同市の取材担当となり、まもなく9年。参列者を見渡せば、今や見知った顔を大勢見つけられる。

 今年、遺族による「追悼の言葉」を述べた菅野秀一郎さん(44)も、日ごろからお世話になっている一人。菓子店を営む秀一郎さんは、商工会や消防団、伝統の七夕まつりなど、積極的に地域づくりに携わっている人だ。

 彼が震災で、実弟をはじめ近しい人を大勢失ったことは知っていた。何年も前、「下半身は見つかったんだけどね。上半身はまだ」と、弟さんについて話していたことが忘れられない。しかし、多くを語ろうとはしない姿勢に、今はまだその時期ではないのだと思い、正面から尋ねてはみなかった。

 だから今回、遺族代表として名が呼ばれたのを聞き、目を見張った。これまで秀一郎さんは追悼式典にも参列したことはなかったのだ。

 震災により、陸前高田市消防団は全国最多の51人の団員が亡くなった。大半が避難誘導などの最中、津波にのまれたとみられる。家や家族を失い、仲間を失いながらも、団員たちは毎日、行方不明者の捜索活動にあたっていた。

 だが、足を負傷してしまった秀一郎さんは捜索から外され、遺体の仮安置所だった小学校の体育館に残された。

 収容しきれないほどおびただしい数の遺体が次々と運び込まれるなか、息をしているのは自分ただ一人。恐ろしさが先に立ち、何もできなかった。時折訪れる警察官たちが遺体をひっくり返して調べるのを見て、当初は「無慈悲だ」と嫌悪した。

 しかし、それは「一分一秒でも早く、家族のもとへ」と思うがゆえの振る舞いと気づいた。

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