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【昭和のことば】多くの人々を楽しませた野村克也さんの言動 月見草(昭和50年)

 名将、野村克也が亡くなった。プロ野球界において、まさに「巨星墜つ」である。

 この年、野村(南海ホークス)は通算600号本塁打を達成。試合後のインタビューで、この「月見草」という名文句が飛び出した。ライバルである巨人の長嶋茂雄や王貞治と自分を比較し、「花の中にだってヒマワリもあれば、人目につかないところでひっそりと咲く月見草もある」と自らの境遇と意地を示した。それ以降、この「月見草」は野村の代名詞となった。

 この年の主な事件は、「新幹線、岡山-博多間開業で、東京-九州が直結」「ベトナム戦争終結」「エリザベス英女王夫妻来日」「暴走族600人、鎌倉七里ガ浜で乱闘」「東京江戸川区の埋め立て地で、六価クロム汚染問題化」「皇太子ご夫妻、沖縄を訪問」「沖縄国際海洋博覧会開催」「日本赤軍、クアラルンプールの米・スウェーデン両大使館を占拠」「興人、会社更生法を適用。戦後最大の倒産」「天皇・皇后両陛下、訪米に出発」「『ワタシつくる人ボク食べる人』の即席ラーメンのCM、男女差別と非難され放映中止」など。

 プロ野球では広島が26年目の初優勝を飾り、世間は赤ヘルブームに沸いた年でもあった。月見草のかれんで静的なイメージとは裏腹に、野村は超一流のエンターテイナーであった。名選手・名監督であることに加え、ID野球、ぼやき、ブランド好き、愛妻、野村再生工場などのキーワードとともに、その言動は多くの人々を楽しませた。

 嫌われていそうで、ものすごく愛された。不思議で偉大な人だった。=敬称略(中丸謙一朗)

 〈昭和50(1975)年の流行歌〉 「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)「シクラメンのかほり」(布施明)「我が良き友よ」(かまやつひろし)