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【語り継ぎたい天皇の和歌】個性的な発想で初冬を詠む (1/2ページ)

 第88代後嵯峨天皇は鎌倉時代の天皇です。武家政権が台頭する中、古(いにしえ)より受け継がれた朝廷の復権をめざして、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に兵を挙げたのは1221年のことでした。世に知られた承久の乱です。後鳥羽上皇は隠岐に、後嵯峨天皇の父である土御門上皇は土佐に流されました。

 後嵯峨天皇が生まれたのは、この乱の前年のことでした。わずか1年で母が亡くなり、その上、乱による配流で父とは生き別れになったのです。そのため母方の大叔父のもとに身を寄せ、20歳を過ぎても元服すらままならないという大変な苦難を余儀なくされました。

 ところが、四条天皇がわずか12歳で急死すると、皇位継承問題がおこり、承久の乱との関わりの薄かった後嵯峨天皇が思いがけず即位することとなったのです。即位後は当時の宮廷内で有力だった西園寺家から中宮を迎え、4年後に譲位します。譲位後は息子である後草深天皇・亀山天皇の上皇となって、二十数年に及ぶ院政を行いました。仏教を厚く信奉した後嵯峨天皇は、あえて幕府と対立せず、天皇としてのありかたを常に模索しました。承久の乱後停滞した内裏歌壇の復興にも力を注ぎ、二度にわたって勅撰和歌集(『続後撰和歌集』『続古今和歌集』)を撰進させました。

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