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【部下がついてくる!「角栄流」上司の心得】「ワシが葬儀委員長だ」 石破茂氏を参らせた父親の“田中派葬” (1/2ページ)

★究極の人心収攬術(8)

 「権力、カネだけで人は動かない。田中先生は、すべてに常人が及ばない発想だった。あのとき、田中先生と出会っていなかったら、私は政治家にはならなかったと思っている。私の父親の葬儀で、私の人生は決まってしまった」

 石破茂。自民党幹事長、地方創生担当相などを歴任、いま「ポスト安倍」に虎視眈々(たんたん)だ。1986(昭和61)年の衆院選で初当選、田中派入りした。筆者は何度か石破に直接取材しているが、石破からこんな言葉を聞いたのは20年ほど前だった記憶がある。石破の話は、次のようなものだった。

 石破の父親、二朗は鳥取県知事15年、参院議員を7年務めた後、81年(同56年)9月に他界した。二朗は亡くなる1週間ほど前に、鳥取市内の病院に見舞いに来た田中に言った。

 「1つ、願いを聞いてほしい。いよいよのときは、あんたに葬儀委員長をやってもらいたい。最後の頼みだ」

 田中はうなずいたが、結局、鳥取県民葬となったことで、葬儀委員長を当時の鳥取県知事に頼み、自分は友人代表として弔辞を述べるにとどめたのだった。

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