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【日本の元気 山根一眞】熱い言葉の数々を思い起こし…哲学者・梅原猛さんと「手書き新聞」 (1/3ページ)

 1月12日、哲学者の梅原猛さんが京都のご自宅で亡くなられた。享年93。

 梅原さんは2000年創立の若狭三方縄文博物館(福井県・若狭町)の館長(後、名誉館長)を務めたが、その隣に昨年9月15日に開館したのが福井県年縞(ねんこう)博物館なのである。私はその特別館長に就任したため、梅原さんにご報告に伺うつもりだったが、「療養中で面会はできない」とのことで心配していた矢先だった。

 私が梅原さんと初めてお目にかかったのは、42年前の1976年10月。週刊誌連載「日本人探検」でのインタビューがきっかけだった。当時私は28歳、梅原さんは51歳。その取材中、梅原さんに「いっしょにインドに行かないか」と誘われ、翌年の1月、東アジアの仏教と美を探るタイ、ネパール、インドを巡る「梅原番」25人からなる2週間のフィールドワークに同行した。

 帰国後、京都市内のお宅にもよくお邪魔した。80年代半ばだったと思うが、梅原さんがまさに口角泡を飛ばして話してくれたのは、地中海沿岸視察時のエピソードだった(記憶は曖昧だが)。

 「山根君、すごい科学者がいるんだ。地層に含まれる花粉の化石を手がかりに昔の環境を再現するんだよ」

 その学者とは、梅原さんが設立した国際日本文化研究センターの研究者、安田喜憲さんだった(現・名誉教授)。

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