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【部下がついてくる!「角栄流」上司の心得】「どうだ、興銀で200億出さんか」 『山一危機』に2枚目カードの“裏芸” (1/2ページ)

★交渉術の極意(4)

 昭和40(1965)年の「山一証券」倒産危機は、国民生活、景気に多大な影響を与えかねなかった。大蔵大臣の田中角栄による救済措置過程にみられた交渉術の凄み、そのテクニックは卓抜していた。

 田中の最終的な落とし所は、日本銀行による山一への特別融資、すなわち「日銀特融」にあった。

 田中はまず「最善の策」として、山一のメーンバンクに支援を要請する1枚目のカードを切った。しかし、この時点で「山一に返済能力なし」と警戒したメーンバンクが協力するわけがないことは、すでに折り込み済みだった。

 ここから、田中の「次善の策」、“裏芸”たっぷりの2枚目のカードが切られたのであった。

 田中は夜9時を回ったころ、東京・赤坂にある日銀氷川寮の一室に、大蔵省から当時の佐藤一郎事務次官、高橋俊英銀行局長、加治木俊道財務局調査官、メーンバンク側から、富士銀行の岩佐凱実(よしざね)頭取、日本興業銀行の中山素平頭取、日本銀行から宇佐美洵(まこと)総裁ではなく佐々木直(ただし)副総裁を集めた。

 日銀が総裁ではなく副総裁を出席させたのは、「日銀特融」への“抵抗”を示したものとの見方があった。三菱銀行の田実渉(わたる)頭取は、株主総会後のパーティーに出ていたことで、1時間ほど到着が遅れた。

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