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【昭和のことば】米ソ冷戦下で生まれた表現 「鉄のカーテン」(昭和21年)

 「鉄のカーテン」は米ソ冷戦の緊張を表すのに盛んに使われたことばである。第二次世界大戦の興奮冷めやらぬ1946年、英国のウィンストン・チャーチル首相退任のあと、米国のトルーマン大統領に招かれた際の演説で、西側諸国の東側陣営との間に存在する断絶を、「ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテン」と評したことに始まる。

 この年の主な事件は、「天皇、神格否定の詔書発表(人間宣言)」「GHQ、軍国主義者の公職追放を指令」「GHQ、憲法改正要綱(松本試案)を拒否し、GHQ草案を交付」「幣原喜重郎内閣総辞職」「米軍、琉球米軍政府下に沖縄中央政府を設立」「極東国際軍事裁判所開廷(東京裁判)」「第1次吉田茂内閣成立」「米国、ビキニ環礁で原爆実験」「経済団体連合会創立」「日本国憲法公布」など。

 この年、初の接吻映画『はたちの青春』が封切られた。本は尾崎秀実の『愛情はふる星の如く』、米国雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』(日本語版)が創刊された。戦後の混乱期であり、人口調査で失業者数推定600万人と発表、「空いているのは腹と米びつ、空いてないのは乗りものと住宅」というはやり言葉も生まれた。

 戦争を連想させる物騒な用語から二十数年後、鉄のカーテンのもじりから使われだしたのが、「哲のカーテン」である。V9当時のプロ野球巨人、川上哲治監督の、マスコミの取材をシャットアウトする秘密練習と徹底した広報戦略を称して、当時の新聞などは盛んにそう呼んだ。

 野球も巨人も大人気だった時代。もしかすると、本家のカーテンより、この川上監督のカーテンのほうが多くの人の印象に残っているのかもしれない。(中丸謙一朗)

 〈昭和21(1946)年の流行歌〉 「東京の花売娘」(岡晴夫)「啼くな小鳩よ」(岡晴夫)「みかんの花咲く丘」(川田正子他)

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