記事詳細

【部下がついてくる!「角栄流」上司の心得】「よしっ、私が処理してやる!」田中角栄氏が東京タワー建設で見せた“手法”とは? (1/2ページ)

 ★「抜け道」伝授能力(1)

 田中角栄は昭和32(1957)年7月、戦後初の30代(39歳)で郵政相として初入閣を果たした。それまで「郵政」に縁はなかったが、のみ込みの早さと行動力、決断力は天下一品。加えて、部下や周囲がニッチもサッチもいかなくなったとき、「抜け道」まで伝授した。郵政官僚たちに、一目も二目も置かれたのは当然だった。

 いい例が、東京タワーの建設であった。

 田中が大臣就任直後、ふと屋上に上がってみると、バカ高いさび付いた鉄骨の塔が目についた。けげんな表情を浮かべていると、傍らにいた文書課長が言った。

 「あのテレビ塔は、実は(建築基準法違反で)工事が止まっているのです」

 これを耳にした田中は間髪を入れず、言ったのだった。

 「よしっ、私が処理してやる!」

 自信満々であった。

 建築基準法による一般建物の高さ制限が地上31メートルなのに対し、テレビ塔の地上120メートルに展望台があったことで、許可が下りなかったのだ。

 田中はすぐ、先の自民党総裁選(9月20日投開票)に出馬した石破茂元幹事長の父で、当時、建設省事務次官だった石破二朗を次のように談判した。

 「君、建築基準法をつくったのは私だ。テレビ塔は広告塔であって、一般の建物ではない。高さ制限の対象にはならないだろう」

関連ニュース