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【突破する日本】「琉球独立論」は中国の謀略宣伝 歴史を俯瞰した賢明な判断を (1/2ページ)

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 明治12(1879)年の「琉球処分」、すなわち琉球藩の廃止と沖縄県の設置によって沖縄は名実ともに「日本の一部」となった。が、朝貢関係があった清国は反発した。日本の領土と認めさせるには日清戦争の勝利を待たなければならなかった。

 第二次世界大戦後、沖縄は米軍に統治された。沖縄を本土と異なる民族と考え、琉球語(沖縄方言)や英語での教育を考えていた。しかし、後に県知事になる屋良朝苗(やら・ちょうびょう)ら沖縄の教育関係者によって、日本語(標準語)教育が守られた。また、多くの人々が本土復帰を渇望した。沖縄は本土とルーツを同じくする。日本という「祖国」への復帰以外には考えられなかった。

 復帰が実現したのは昭和47(1972)年5月15日のことだが、米国との復帰交渉を行った佐藤栄作首相は同40(65)年8月19日、現職首相として戦後初の沖縄訪問をした。那覇空港に降り立った佐藤首相は「沖縄同胞の皆さん」と語り掛け、「私は祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって『戦後』が終わっていないことをよく承知しております。これはまた、日本国民すべての気持ちでもあります」と述べた。

 沖縄県民を「同胞」と呼び、「祖国復帰」と述べた。現在も多くの国民が共有している思いだ。

 今日、沖縄と本土とは時として不幸な関係になることがある。在日米軍基地の集中を「沖縄差別」とし、その発展で沖縄の人々を「先住民族」とし、「琉球独立論」が語られる。

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