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【突破する日本】「琉球処分」の目的は… 欧米列強の沖縄・本土侵略の阻止 (1/2ページ)

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 沖縄は、世界の歴史の大きな転換期に、常に本土を守るための最前線となってきた。おびただしい数の犠牲者を出した第二次世界大戦末期の沖縄戦は、米軍の本土上陸戦を阻止するためのものだった。1609年の薩摩藩による琉球侵攻は、スペイン、ポルトガルが琉球を入り口に、本土を侵略する意志を阻止するためだった。明治12(1879)年の「琉球処分」も同様だった。

 明治新政府が安定するには、しばらく時間がかかった。同10(77)年には西南戦争が起きている。同4(71)年、全国的な「廃藩置県」が行われた。琉球国は翌年、「琉球藩」となった。県でなく、藩としたのは朝貢していた清国の反発が予想されたからだ。

 そのころ、宮古島の船が台湾に漂着し、乗組員が先住民に殺される事件(=宮古島島民遭難事件)が起きた。日本政府は「日本国民たる琉球人が殺害された」として清国に抗議し、明治7(74)年に台湾に出兵した。「北京議定書」を締結し、「琉球は日本に属する」と明記させた。

 日本政府は、琉球藩に清国への朝貢を廃止するよう求めたが、琉球では清国へ救援を求める運動もあった。同11(78)年、日本政府は琉球併合を決断し、翌年、琉球藩の廃止と沖縄県の設置を宣言した。琉球処分だ。背景には、欧米列強の沖縄侵略、そして本土侵略を阻止する目的があった。

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