記事詳細

【勝負師たちの系譜】十数年ブランクも…王将・阪田三吉、若き精鋭相手に66歳“最後の挑戦” (1/2ページ)

★順位戦(1)

 名人戦が終われば、次の挑戦者や各組の昇降級を決める順位戦が、毎年A級を皮切りに始まる。

 もっとも今年は名人戦が第6局まで行ったから、終了前の6月12日に、豊島将之八段-稲葉陽八段戦が行われている。

 順位戦は戦後間もない1946年度から始まった。その前身は関根金次郎13世名人が名人の終身制を返上し、名人位を実力で決めるために1935年から始まった、特別リーグである。

 この第1期リーグは2年半の月日を費やしたが、木村義雄八段が、2位の花田長太郎八段に大差をつけて優勝したため、1位と2位の決定戦を行うことなく、木村が第1期の実力制名人に就いたのだった。

 特筆すべきはこのリーグの第2期に、阪田三吉翁が出場したことである。

 阪田には「粗野だが将棋だけは強かった」というイメージがあるようだ。しかしお世話になった人の車が見えなくなるまで頭を下げていたとか、「阪田さんの記録を取ったら終局後、『ご苦労さん』と言って小遣いを頂いた」(私の師匠、故・廣津久雄九段談)と言うほど、礼儀正しい人だったと私は聞いている。

 阪田は関西で支援者に担がれて「名人」を名乗ったため、東京棋界から追放されて孤立し、棋士としては十数年のブランクがあった。

 それを担ぎ出したのが読売新聞社だった。当時名人の木村と「京都・南禅寺」、花田と「天龍寺」で、どちらも持ち時間30時間の対局を組んだ。一局の将棋を7日間かけて戦ったのである。

関連ニュース