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【勝負師たちの系譜】衝撃的だった1996年の棋聖戦 絶対王者・羽生七冠の陥落 (1/2ページ)

★ヒューリック杯棋聖戦(5)

 棋聖戦は私自身にとっても、思い出すシーンが多い棋戦である。

 三段時代はタイトル戦になると産経新聞社に詰め、棋譜や図面の点検をする仕事をした。当時は指し手を電話で送る時、現地から「3五銀、シルバー」という感じで送られてきた時代だった。

 1974年の棋聖戦第5局、米長邦雄棋聖-内藤国雄八段(いずれも当時)戦の記録係の最中に、私の四段昇段(プロ入り)が決まったことは前にも書いた。

 内藤はこの将棋に勝ってタイトル3期となり、九段となったのだった。

 また私が1998年度に頂いた将棋大賞の『升田幸三賞』での「鷺宮定跡」は、私が指した急戦策を見た米長が、1983年度の棋聖戦・棋王戦で森安秀光九段相手に連採して勝ったことで、一躍有名になった。

 1982年、故・二上達也九段が棋聖5期目(永世称号)を目前にして森けい二八段(当時)に敗れた時の第1局で、史上最長の30日観戦記を芹沢博文九段が受け持ったことも記憶に残る。

 しかし何といっても衝撃的だったのは、1996年の棋聖戦で、絶対王者だった羽生善治七冠を新鋭の三浦弘行五段(いずれも当時)が破り、羽生の七冠をわずか5カ月半で終わらせたことだ。

 羽生の七冠が決まった時、私は理事として対局場の山口県豊浦町にいた。羽生の強さをまざまざと見てきただけに、トーナメントはともかく、羽生を番勝負で負かす人は当分出ないだろうと思っていたからである。

 当時三浦は22歳の新鋭。その前期にも棋聖位に挑戦し、3連敗で敗れたものの、三浦の強みはその棋聖戦が羽生との初対局で、散々羽生に叩かれた棋士と違い、苦手意識がほとんどないこと。

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