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北朝鮮の非核化による融和ムード 数年後に自ら壊す可能性も (4/5ページ)

 しかし、北朝鮮との戦争を開戦させた場合、最初の90日間で米軍の死傷者が5万2000人、韓国軍の死傷者が49万人に上るという試算が出ていたため、いずれにしても武力行使に踏み切ることはなかっただろう。

 こうした緊張状態から急転直下で「米朝枠組み合意」は調印された。その後も、ワシントン、ニューヨーク、ジュネーブ、ベルリン、北京、平壌で26回にわたり米朝会談が行われ、2000年6月には金大中大統領と金正日総書記との史上初の南北首脳会談が行われた。

 米朝会談の総仕上げは、2000年10月10日に金正日総書記の特使として訪米した、軍のトップである趙明録朝鮮人民軍総政治局長(国防委員会第一副委員長)のクリントン米大統領との会談だった。

 この時の一連の会談で両国は融和ムードを演出した。特に米国は、大統領、国務長官、国防長官がそれぞれ趙明録特使と会談するという異例の厚遇を示し、高いレベルでの米朝対話の定着を目指す姿勢を強調した。

 ◆敵対関係からの脱却を宣言

 米朝両国は2000年10月12日に発表した共同コミュニケで、朝鮮戦争以来50年にわたる「敵対関係」からの脱却を宣言したことで、朝鮮半島の冷戦構造の解体は加速した。さらに同年12月23日には平壌で金正日総書記とオルブライト米国務長官の会談が行われ、米朝の蜜月ぶりが演出された。

 米朝会談は1992年から開始されたわけだが、その間、米国は経済制裁を緩和し、米国、日本、韓国はコメなどの食糧支援を含む経済支援を行った。また、北朝鮮が保有する核兵器の製造にも転用可能な黒鉛減速炉と核兵器開発を放棄させるため、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)を設立し、軽水炉による原子力発電所の建設に着手した。

NEWSポストセブン

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