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【昭和のことば】『狂気の時期』迎えていた戦争当時…ほの暗いイメージと結びついた「少国民」(昭和17年)

 年少の国民を意味する「少国民」ということばは、「少年少女」や「児童」など、通常の年少の人間たちを表す表現とは、かなり違ったニュアンスで使われたことばだ。

 「日本少国民文庫」や児童雑誌「少国民の友」(小学館)など、主に出版や教育の分野などで使われたが、「国家構成員である国民としての観念の強制」や「ファシズム教育への移行」など、ある種の「狂気の時期」を迎えていた戦争当時の、ほの暗いイメージと完全に結びついているといえる。

 この年の主な事件は、「みそ・しょうゆ切符制配給実施」「愛国婦人会、国防婦人会などを統合し、大日本婦人会発足」「東京に初の空襲警報発令」「高村光太郎『道程』など、第1回芸術院賞発表」「第21回総選挙(翼賛選挙)」「寺院の仏具・釣り鐘など、強制供出の命令」「ミッドウェー海戦。日本大敗し戦局の転機に」「アメリカ海兵一個師団、ガダルカナル島に上陸」「警視庁、東京の不良青少年を一斉検挙開始」など。

 この年の映画は『マレー戦記』『父ありき』。本は芹沢光治良『巴里に死す』、小林秀雄『無情という事』、真鍋良一訳・ヒトラー著『我が闘争』。銑鉄生産高は戦前最高を記録。この頃、労働者の欠勤、怠業、徴用工の逃亡などが顕著になってきた。

 小学校が「国民学校」に変わったのは昭和16(1941)年。翌年、日本少国民文化協会(児童文学の統制などが主な目的)が情報局の指導下に結成、この「少国民」が流行語になった。

 当時、児童雑誌『小国民』(のちに少国民に改題)の編集長だった石井研堂という人物がこの流行語の創始者とされたが、彼はそのことをけっしてよろこんではいなかったという。=敬称略(中丸謙一朗)

 〈昭和17(1942)年の流行歌〉 「朝だ元気で」「ジャワのマンゴ売り」(灰田勝彦、大谷洌子)「空の神兵」(灰田勝彦、大谷洌子)

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