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【新・カジノ情報局】マカオ物語 税収の5割超を納めたカジノ王のスタンレー・ホー (1/2ページ)

 2002年にカジノライセンスが外資に開放された直後、売り上げベースでいきなりラスベガスの7倍を記録し、世界で最も有名なカジノの島となったマカオだが、それ以前は今とはイメージも中身もかなり異なるものだった。

 ポルトガルの植民地時代のマカオは「カジノ」と「アヘン」による収入で食っていた。国家の財政がギャンブルとドラッグ頼みと聞いただけで日本人の感覚からすれば異様であり、当時のマカオがどんな国だったかは容易に想像できるだろう。

 これらの事業を行っていたのは世界から集まったマフィアだが、そんな何でもありの状態をマカオの目と鼻の先にいる香港マフィアが放っておくわけがなかった。彼らの参戦により、カジノを巡る抗争は激化し犯罪も多発。その解決を迫られた宗主国のポルトガルは、1940年、カジノに関する独占経営権(ライセンス制度)を導入した。

 問題の種となっていたカジノを禁止するのではなく、特定の業者に営業を認可し、政府の管理下に置くことを決めた。禁酒法の失敗に学んだアメリカと同じである。これにより、カジノにおける安全性と公平性が保たれ、同時に税収も確保できるようになった。

 こうして導入されたカジノ独占経営権はその後数十年おきに更新されたが、1961年の更新のさい、香港の不動産事業で大成功を収めていた人物が、マカオ旅遊娯楽有限公司「STDM」を設立し、落札に成功した。

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