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【zak女の雄叫び】《zak女の雄叫び お題は「白」》もし核ミサイルが日本に向けて発射されたら… とても恐いこと (1/2ページ)

 2006年10月、北朝鮮が初めて地下核実験に成功したと発表した日の夜。夢を見た。秋晴れの良く晴れた空のもとで、私は自転車に乗っていた。何かが光った。東京、埼玉などを流れる荒川の上空で、核爆弾が爆発したのだ。家に帰ろうと急いでペダルを踏み続けた。自宅マンションにいるであろう、家族の無事を願いながら。

 目が覚めた翌朝から、世界が確実に変わったと実感した。北朝鮮が核を持つ前と後では、全く違う。北朝鮮はその後も、着実に核弾頭を積むためのミサイル開発などを推し進めている。このままいけば、近い将来、日本を射程に入れる準中距離弾道ミサイル「ノドン」などに搭載可能な核兵器を開発するだろう。

 日本海や沿岸部には、「SM-3」と「PAC-3」という迎撃ミサイルが配備されている、らしい…。1発か2発なら防御できるが同時に何十回というミサイルが飛来したら、防げない。そう思うと、とても恐い。

 広島で生まれ育った親族からは、昭和20年8月の原爆の被爆体験を繰り返し聞いた。母は爆心地から2キロで被爆。幸い、爆心地方向に大きなコンクリートの壁があったために、放射線や爆風が吸収され、無傷だった。70歳を過ぎた今もぴんぴんしている。

 一方、河川敷工事現場にいた祖父は、炎天下の中で、何の遮断物のないまま、被爆し、全身にやけどを負った。避難先でも、体を冷やすものがないため、土を掘り赤土を体を冷やしたという。命はとりとめたものの、すっかり体を悪くして寝たきりの状態が続き、被爆から十数年後、がんなどのために死去した。

 もし、核攻撃を受けたら、一瞬のことで何もすることができないかもしれない。それでも、もし何かできることがあるなら、とにかく、頑丈な建物の屋内や地下に移動することだ。窓を閉め切り、外気を遮断する。そうすれば、爆風や放射線から少し身を守ることができる。

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