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【勝負師たちの系譜】大山康晴名人が50代から見せつけた凄み、54歳から433勝積み上げる (1/2ページ)

★大山康晴(3)

 大山康晴十五世名人は、番外戦術もうまかったと言う人がいる。

 確かにタイトル戦でも人の倍食べるとか、真冬にコートを着ないで外を歩き、丈夫さを見せつけることはよくあった。

 また対局中に、立会人や新聞社の担当に麻雀をやらせ、自分の手番でない時は、控室で観戦する余裕を見せつけたりもしていた。

 さらに2日制のタイトル戦では、1日目の進行が速いと立会人を呼び、「1日目にあまり進むと味が悪くなるんじゃない」と言って、持ち時間を1時間ずつ折半して、初日を早く終わらせたこともあった。

 とは言え当然、番外戦術を使わなければ勝てない棋士ではない。自分の周りの人を、味方にする術に長けていたということだったと思う。

 ただし自分のペースに引き込めない相手には、大山も相当イライラしていた。特に山田道美八段(当時)は「打倒大山」を宣言して全く妥協することがなかったから、山田が盤に覆いかぶさって影になった時は「暗くしなさんな」と言って注意したという話が伝わっている。

 これが中原誠十六世名人相手だと、二回り違う後継者と思ったようで、見る目は違っていたように思う。

 そもそも大山は、奨励会時代の中原の対局姿を見て「私はあの子に名人を取られると思う」と予言したというから、まさに王者は王者を知ると言えるだろう。

 大山は中原に1970年、十段位(竜王戦の前身)と棋聖を奪われたのをはじめとして、72年には名人位を明け渡した。大山49歳の時である。

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