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【パリッコの「酒飲み12カ月」】やっぱり特別な季節… 夏を始める儀式

 春夏秋冬どの季節も好きだけど、やっぱり夏は特別な気がする。

 青く高い空。入道雲。蝉時雨。ゆだってしまいそうな暑さ。早朝や夕暮れにふいに訪れる涼しさ。お祭り。花火。夕立の匂い。そういうものに、まだ幼かった頃の夏休みの記憶が重なるからなのかもしれない。子供の自分にとって、永遠に終わらないかのように思えた、長い長い自由時間。毎日何かが起こりそうで無性にワクワクしていた、あの日々が。

 僕は、生活の中でふと感じる郷愁みたいな感覚をなるべく大切に生きていきたいと思っている人間だ。なぜなら、酒をよりうまくしてくれるから。

 毎年何気なくすごしていて、「今日だな」と感じる日がある。何が今日なのかというと、自分の中で夏が始まったのが、だ。たいてい5月くらい。明らかにそれまでとは違う、むせかえるような夏の片鱗が、空気に混ざりはじめたことに気づくのだ。

 もう20年近く、そんな日に自分の中で勝手に行っている儀式がある。それはかせきさいだぁ氏の1996年リリースのアルバム『かせきさいだぁ≡』を聴きながらビールを飲むというもの。

 スチャダラパーを筆頭とした日本語ラップクルー「リトル・バード・ネイション」が90年代に大ブームを巻き起こし、当時高校生だった自分は見事にどハマりした。中でも衝撃的だったのが『かせきさいだぁ≡』という作品で、低く心地よい独特のラップ、はっぴいえんどなどのサウンドをサンプリングしたトラック、そして、文学的で、僕の思い出の中の夏を美化してそのままパッケージングしてくれたような歌詞が、あまりにも自分好みだった。

 同じ年にリリースされたイギリスのミュージシャン、Aphex Twinの『Richard D. James Album』という作品にもベクトルの違う衝撃を受け、リリースから半年間くらいくる日もくる日もエンドレスで聴いていたので、この2枚が、僕の人生でもっとも多く聴いたアルバムで間違いないと思う。が、先述のように、いまだに夏がやってくると聴きはじめ(それ以外の季節はあえて封印している)、そして僕が勝手に夏の終わりと決めている10月中までは聴きまくるので、やっぱり1位はかせきさいだぁ≡』になるんだろう。

 今年の3月にフリーランスとして独立し、慣れぬ日々を送っている。昨日はあの街でハシゴ酒。今日はあの川辺で椅子に座って酒を飲む。明日はあの食材を使ったおつまみレシピの開発。ひとつひとつの仕事はとても楽しいし、俯瞰で眺めれば毎日が夏休みのようなものだ。しかし当の本人は割と必死。初めての子供がまだ小さいことも重なって、バタバタと余裕なくすごしていたら、不覚にも今年は、まだあのアルバムを聴けていないことを思い出した。

 梅雨が明け、よく晴れた8月の初旬、午後3時。自宅での原稿作業がひと段落したタイミングで、冷蔵庫から缶ビールを取り出してくる。自室にある、もはや使っている人の方が珍しいであろうミニコンポにCDをセットする。もちろんPCにもMP3プレイヤーにもデータは入っているが、儀式だからCDで聴く。プレイボタンを押すと「プシュ! トクトクトク……」と、サイダーをグラスに注ぐ効果音。これに合わせて、ビールを小さなグラスに注ぐ。軽快なリズムと爽やかなギターリフに続き、一字一句が完璧に思われる歌詞がつむがれてゆく。

駅に走る道は雨で

さらさらと川の様に

跳ね上がる水溜まりの

夏の終わりの苛立ちも濡れて

 エアコンの効いた部屋に『さいだぁぶるーす』が響き、窓の外からかすかに蝉の声。夏、始まったな。出遅れたぶんはこれから取りかえしていこう。

 しかしひとまずは、ちょっと昼寝して、また原稿かな。

■パリッコ 酒場ライター。著書に『酒場っ子』『晩酌百景 11人の個性派たちが語った酒とつまみと人生』、スズキナオ氏との共著に『酒の穴』『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』。「晩酌ほろ酔いクッキング」(漫画ゴラク)「今日は早退します!」(東京ウォーカー)他、連載も多数。TV東京「音流~ONRYU~ 酒場サーキット」出演中。

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