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【松浦達也 肉道場入門!】伴天連の台頭と秀吉の変節 日本史からしばらくの間、姿を消した牛肉食 (1/2ページ)

 大化の改新(646年)以降、長く肉食から遠ざかっていた日本人にとってほんの少しだけ肉食に追い風が吹いた瞬間があった。

 戦国時代末期から安土桃山時代の初頭のごくわずかな期間である。

 1549年、フランシスコ・ザビエルが来日し、その後続々とキリスト教と宣教師たちが日本へと上陸した。

 キリスト教は食の禁忌が非常に少ない宗教だ。

 もともと肉食を日常の食としていた彼らも日本では肉食を控えていたが、信徒を中心に時折、肉をふるまう饗宴を行うこともあったという。

 例えば1557年にはガスパル・ビレラ神父が、府内(現在の大分市内)でキリシタン400人を集めて肉と米を煮た料理--現代風に言うなら牛肉のパエリアのような料理を供したという。

 一般には牛肉食が禁止されていた頃ではあるが、府内はキリシタン大名として知られた大友宗麟の領地。一定の寛容さがあったのかもしれない。

 当時はまだ戦国時代の真っただ中。織田信長や豊臣秀吉は鉄砲などを得られる南蛮貿易に魅力を感じていた頃だった。信長の時代には京都で「牛肉をわか(※)と称してもてはやせり」と言われるようになる。

 秀吉も仏教徒は異教を敵視するが、多少仏教徒の機嫌をそこねたとしても、南蛮貿易のためなら異教の混入やむなしと考えていたふしがある。

 当時、日本との窓口役になっていたルイス・フロイスも豊臣秀吉の肉への傾倒ぶりや日本人に肉が受け入れられ始めたことを文献に残している。

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