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【松浦達也 肉道場入門!】徳川時代の彦根藩 武具、馬具の調達で肉食発達するワケ (1/2ページ)

 江戸時代までの日本は、牛や豚などの肉食は禁じられていた。だがすべての日本人が忠実にその禁を守っていたわけではない。

 例えば近江牛のお膝元として知られる彦根藩(現在の滋賀県)は、江戸時代前期から牛の味噌漬けを作り、将軍家などに献上してきたという記録が残されている。

 そして幕末から明治維新にかけて、牛肉食の文化は目に見えて広まっていく。

 幕末の安政年間には大阪の難波橋近くで福沢諭吉が牛鍋をつついていた。

 1940(昭和15)年に発刊された窪田五郎の『日本牛史』によれば、1862(文久2)年頃、京都の「三條の橋の袂に偏した所に牛鍋屋」が3~4軒あり、その盛況ぶりは毎日が「市の如き賑(にぎわい)」だったという。

 史実を読み進めていくと、肉食文化がとりわけ関西圏でどう伝播していったかがわかる。琵琶湖の東側に位置する彦根と牛の名産地である但馬国周辺(現在の兵庫県)で牛肉を食べる文化が深化し、その中間に位置する京都、大阪へと伝わっていったのだ。

 そもそも彦根藩で牛肉の味噌漬けが作られるようになったのにも理由がある。彦根藩の藩主、井伊家は代々徳川家に仕えてきた。その家臣4000人というスケールは徳川幕藩体制における譜代大名としても強大であり、京都守護の役目も果たしていた。

 つまり彦根藩は武具や馬具に必要な牛や馬の皮を調える必要があった。牛の産地である兵庫もそうだが、牛皮を調達すれば当然肉が残る。その肉を保存食とするため、味噌漬けや粕漬け、干し肉といった特産物が発展していった。

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