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【松浦達也 肉道場入門!】「牛は西国」鎌倉時代の文献が示すルーツ 国産牛の特徴が記された巻物『国牛十図』 (1/2ページ)

 関西で「肉」と言えば当然のように牛を指すが、文献をめくると、その端緒は鎌倉時代にまで遡(さかのぼ)る。

 鎌倉時代の終わりに描かれた『国牛十図』。当時の国産牛の特徴が記された巻物だ。

 特徴といっても、あくまで農耕用。「腰背ともども丸々として頑健である」(但馬牛)といった記述のみで、味わいについての記載はない。少なくとも表向きには牛肉食は禁じられていたからだ。

 序文に「馬は関東、牛は西国」と書かれているように、『国牛十図』には「西」の牛が多く登場する。

 先に挙げた「但馬牛」のほか関西圏からは「丹波牛」「河内牛」など。そのほか九州や北陸の牛も挿絵つきで紹介されている。

 文字情報で出雲、石見、伊賀、伊勢の牛にも触れられている。

 実は東日本にも、古くからの在来種として南部藩(岩手、青森、秋田各県の一部)の南部牛もいた。現代の短角牛にもつながる名血統だが、『国牛十図』には描かれていない。「牛は西国」なのは、食用にされる以前からだったのだ。

 食用としては江戸時代前期の1690年頃の元禄年間には、彦根藩(現在の滋賀県)が牛肉の味噌漬けを「薬として」考案し、諸侯に寄贈していた。弘化年間(1844~1848)の冬場には1日50頭を解体していたという。

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