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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】『ベストテン』が“メジャー進出”の第一歩! 初出演に緊張「トイレに行きたくなって…」 (1/3ページ)

 セカンド・シングル「少女A」の発売(1982年7月28日)から1カ月。芸能誌をはじめテレビ各局からの問い合わせが殺到し始めた。ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)の販売担当者は振り返る。

 「宣伝担当者は、これまでお願いしても反応が鈍かった芸能誌からインタビューや撮影の問い合わせなどが相次ぎ、逆にスケジュール調整が難しくなってきたと言っていました。レコード店からの受注は私たち営業担当者が直接受けてもいましたが、それもリアルに高まっていて、売れていくというのはこういうものかとどこかモチベーションも高まっていました」

 オリコンのシングルチャート初登場40位(82年8月9日付)でスタートした「少女A」は、4週目の8月30日付で24位にまで上昇、ロングヒットの様相を見せてきた。その人気を一気に押し上げる起爆剤が当時、木曜日の夜9時からTBS系列で放送していたランキング番組「ザ・ベストテン」への出演だった。

 同番組は平均視聴率が28・0%(82年実績)という驚異的な音楽番組だった。明菜は9月16日に初登場9位で出演。9999点が最高点の中、6189点だった。

 これまで、デビューのキッカケになった日本テレビ「スター誕生!」は別として、出演した音楽番組といえば、日曜日夜のNHK総合「レッツゴーヤング」とテレビ東京「ヤンヤン歌うスタジオ」ぐらいだっただけに「デビュー4カ月でようやくスタートラインについたような思いだった」(前出の営業担当者)。

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