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【織田哲郎 あれからこれから】発売直後は酷評された「夢見る少女じゃいられない」 売り上げもイマイチだったが今では相川七瀬の代表曲に

 1995年11月8日に発売された相川七瀬の「夢見る少女じゃいられない」は、当初周囲の業界人からは酷評されました。この曲を皆さんが知っている今となっては不思議に思われるかもしれませんが、私の中にあった“前向きでない、ダークなロック”というイメージが、他の明るいガールズロックと比べて“売れないマイナーなもの”という印象につながった人もいたのでしょう。

 売れ行きも最初はパッとしませんでしたが、エイベックスがしぶとくプロモーションをしてくれて、あるラジオ番組の「女子高生が選ぶ曲」のコーナーで注目されてから火がつきました。意外に思われるかもしれませんが、この曲はそれでも最高でヒットチャートの12位までしかいっていないのです。

 のちに相川がリリースした曲のほうが断然ヒットチャートでは上位までいっていますし、実際に売り上げ枚数でもっと売れた曲はあるにもかかわらず、今でも相川の代表曲というとこの曲が最初にあがるのは面白いものだなと思います。

 この曲はその後、さまざまな形でカバーされ歌い継がれて、長く愛される歌になりました。不思議なことに、ブラジルの日系の方々の盆踊りで、この曲が定番曲になっているそうです。

 96年に入って「バイバイ。」「LIKE A HARD RAIN」「BREAK OUT!」と立て続けにリリースし、相川は世の中に認知されていきました。「バイバイ。」は当時タイにいた知人から、タイのディスコで大ヒットしているという話を聞きました。スウェーデンや英国でもカバーされました。特に英国のジェニファー・エリスンの「Bye Bye Boy」というバージョンはUKチャートで13位まで上がりました。私は英国での中学時代、『TOP OF THE POPS』という番組が一番の楽しみでしたから、その番組でジェニファーが「Bye Bye Boy」を歌っている映像を見たときは本当にうれしかったです。「バイバイ。」は日本国内での反応は一番地味でしたが、なぜか世界各国で愛されました。

 「LIKE A HARD RAIN」では、歌番組出演にあたって、私は「マイクスタンドをふり回してみよう」と提案しました。相川はそれまでそんなことをしたこともありません。ですが、そこから必死の特訓で歌番組の本番に臨み、見事一発できれいに決めたのです。彼女はいつも「やると決めたことはやる」という気合の入った子だったので、一緒に仕事をするのが本当に楽しかったです。

 ■織田哲郎(おだ・てつろう) シンガーソングライター、作曲家、プロデューサー。1958年3月11日生まれ。東京都出身。現在「オダテツ3分トーキング」をYouTubeで配信中(毎週土曜日更新)。

 12月21日(土)に『クリスマススペシャルライブ』をモーション・ブルー・ヨコハマで開催。一般予約を受付中。

 弦カルテットとの共演による『幻奏夜IV』は20年2月23日(日)=名古屋ブルーノート▽同24日(月祝)=ビルボード大阪で開催。一般予約を受付中。詳しくは公式サイトt-oda.jpへ。

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