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【秘話開封 歌舞伎とチャップリン】「いつまでもこのような芸術は残してほしい」 来日の度に観劇…チャップリンと歌舞伎は“相思相愛” (1/2ページ)

 『ライムライト』の世界初の舞台化を、チャップリン家が日本だけに認めたのも、チャップリン本人の日本演劇好きのおかげかもしれない。

 日本人秘書の高野虎市を通して日本に興味を持ったチャップリンは、ハリウッドを訪れた歌舞伎一座と交友を持った。

 世界旅行の一環として訪れた初来日では5・15事件の標的にされ、すんでのところで命拾いしながらも伝統芸能を大いに楽しんだ。凝り性の喜劇王は歌舞伎をすでに研究しており、忠臣蔵の筋書きを周囲に説明するほどだったという。七代目松本幸四郎の渡辺綱、六代目尾上菊五郎の伯母真柴の『茨木』と忠臣蔵を見て楽屋を訪ね、お軽を演じた中村福助の女形のこしらえを興味深く観察し、菊五郎と斧定九郎を演じた初代中村吉右衛門と固く握手をした。

 歌舞伎俳優が何十年もかけて大成すると聞き、自身も5歳で初舞台を踏んで芸を鍛え上げたチャップリンは「あらゆる芸術はそうでなくてはいけない」と共感。七代目幸四郎と二代目市川猿之助の連獅子を見て、「2人はよく呼吸があい、リズムに乗っている。踊りは幸四郎のほうがうまいが、猿之助は意気があってアクロバティックだ。歌舞伎舞踊の良いのは腰から上のポーズだ」と述べたというから、なかなかの見巧者だ。

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